立夏に思う~災害への対策は悪運への対処である
- 2015/05/06
- 21:33
今日は5月6日。二十四節気の「立夏」。今日から辛巳月が始まる。
先月は庚辰月で予想通り土金の強い一ヶ月だった。庚金は固い斧でその打撃力は強烈である。
個人的には良い引き立ても多かったが、ダウンもした。庚はそれほど好きではないが、役に立つことが多く、重宝はしている。今月は辛天干で、柔らかい宝石なのでソフトであり誰にとっても過ごしやすいことだろう。ちょっとホッとしている。
ブログに、あまりにも、占いのことを書かないと、占い師でないと思われがちなので、たまには書かないといけないと思った。(笑)

占いが当たらないと思っている人がまだまだいることに驚く日々なのだが、西洋占星術やインド占星術や八字や紫微斗数など、歴史がありロジックのある命理学の範疇にあるものはとても良く当たる。ただし、事が起きてから解釈するのはできても、前もって当てようとするならばエキスパートにならなければいけない。それに加えて、やはりいろいろな物事や人を見たり、経験したり、広い視野を持っていることは判断する際は有利である。
とは言っても、我々命理学家からすれば、命理学という視点から見た方が手っ取り早いことも多い。
最近は、世界の主要都市でテロがあったり、人質事件があったり、航空機事故、各地の火山の噴火、福島の原発のことなど気になることは多い。では、「趨吉避凶」で、危険から逃れていったいどこに赴けばいいのだろうか?
これらは測局や卜術に頼るしかないのであるが、運が悪い時にたてた易は危険である。当たりにくい(笑)卜易の恐いところは、自分の運が悪い時は易が外れてしまうことだ!
占い師なのに「言ったことが当たらない!」、というのも、同じ運の悪さのカテゴリーに入るのだろう。

運がいい時には、偶然に言ったことが的を得ていたり、何気なく行動したことがうまく行ったりする。
何の努力もしないのにいつのまにか波に乗っていて、何の計画もしていないのに勝手にお膳立てができていたりするものである。そういうのが“運がいい”ということなのだ。
成功した人は、成功した後に努力論や成功法則を叫ぶが、成功した後になってみて思いついただけで、本当はたまたま運が良かっただけだと思う。なぜなら、生きているだけで誰だって人並みの努力や苦労はしているのである。
結局のところ、自分に過度の負担をかけずに、自分の感情が喜ぶようにして暮らし、回りにも幸せの種を撒き、日々の生活の中でやってきた運を享受し、悪い運が来た時に上手く対処できる解決のプロ(医者・弁護士・占い師・相談役・友人等等)を揃えておくという姿勢が理想的だと思う。
さて話を戻すと、どうしたら大きな災害などをさけられるのだろうか?
一般的には、様々なところから正確な情報を取ること。そして、動物たちのように「兆し」の段階で敏感に事を察知して判断、行動する・・・というのが好ましいように思う。私もいつになく、それらのことについて考察し、頭がオーバーヒートするくらい、いろいろと考え調べて、思いついたことは、
短絡的ではあるが・・運の強い人が集中的に沢山住んでいるところであるならば、災害があったとしても被害は受けにくく、様々な恩恵にも預かれると考えた方が妥当な気がしてきた。(笑)

運がいい人たちと、できるだけ接点を持っておくようにするのである。そうすれば運の良いアドバイスと運の良い解決法を知っていて、しかもその通りになるからである。「親切で運の強いブレーン」を持っておくのである。そしてできることなら、日頃から接して習っておくべきだ。
なぜ今まで思いつかなかったのか不思議である。(笑)
もっと突き詰めれば、運がいい人とできるだけ会うようにすれば、おそらく運の悪さも緩和するであろう。
風水で、部屋に置くと良いと言われる観葉植物のように回りに配置しておくのである。(結界みたいですが)

そうしてみると、インド占星術で、私のダーシャで、土星/ラーフ/火星の三大凶星が重なったこの時期に、戦争や災害や災難について考えて調べていたのも、結局、自分の火星期の影響のためだったと気づいた。しかしその時期もあと1週間くらいで終わるのでホッとしている。私の土星は強いので、むしろとても良い影響を与えてくれている。しかし、やはり土星は仕事や忍耐の星なので楽はできない。プチ火星期は地震などの災害や外からもたらされる災難について考えてみるには、おそらくふさわしい時期なのだろう。
先月は庚辰月で予想通り土金の強い一ヶ月だった。庚金は固い斧でその打撃力は強烈である。
個人的には良い引き立ても多かったが、ダウンもした。庚はそれほど好きではないが、役に立つことが多く、重宝はしている。今月は辛天干で、柔らかい宝石なのでソフトであり誰にとっても過ごしやすいことだろう。ちょっとホッとしている。
ブログに、あまりにも、占いのことを書かないと、占い師でないと思われがちなので、たまには書かないといけないと思った。(笑)

占いが当たらないと思っている人がまだまだいることに驚く日々なのだが、西洋占星術やインド占星術や八字や紫微斗数など、歴史がありロジックのある命理学の範疇にあるものはとても良く当たる。ただし、事が起きてから解釈するのはできても、前もって当てようとするならばエキスパートにならなければいけない。それに加えて、やはりいろいろな物事や人を見たり、経験したり、広い視野を持っていることは判断する際は有利である。
とは言っても、我々命理学家からすれば、命理学という視点から見た方が手っ取り早いことも多い。
最近は、世界の主要都市でテロがあったり、人質事件があったり、航空機事故、各地の火山の噴火、福島の原発のことなど気になることは多い。では、「趨吉避凶」で、危険から逃れていったいどこに赴けばいいのだろうか?
これらは測局や卜術に頼るしかないのであるが、運が悪い時にたてた易は危険である。当たりにくい(笑)卜易の恐いところは、自分の運が悪い時は易が外れてしまうことだ!
占い師なのに「言ったことが当たらない!」、というのも、同じ運の悪さのカテゴリーに入るのだろう。

運がいい時には、偶然に言ったことが的を得ていたり、何気なく行動したことがうまく行ったりする。
何の努力もしないのにいつのまにか波に乗っていて、何の計画もしていないのに勝手にお膳立てができていたりするものである。そういうのが“運がいい”ということなのだ。
成功した人は、成功した後に努力論や成功法則を叫ぶが、成功した後になってみて思いついただけで、本当はたまたま運が良かっただけだと思う。なぜなら、生きているだけで誰だって人並みの努力や苦労はしているのである。
結局のところ、自分に過度の負担をかけずに、自分の感情が喜ぶようにして暮らし、回りにも幸せの種を撒き、日々の生活の中でやってきた運を享受し、悪い運が来た時に上手く対処できる解決のプロ(医者・弁護士・占い師・相談役・友人等等)を揃えておくという姿勢が理想的だと思う。
さて話を戻すと、どうしたら大きな災害などをさけられるのだろうか?
一般的には、様々なところから正確な情報を取ること。そして、動物たちのように「兆し」の段階で敏感に事を察知して判断、行動する・・・というのが好ましいように思う。私もいつになく、それらのことについて考察し、頭がオーバーヒートするくらい、いろいろと考え調べて、思いついたことは、
短絡的ではあるが・・運の強い人が集中的に沢山住んでいるところであるならば、災害があったとしても被害は受けにくく、様々な恩恵にも預かれると考えた方が妥当な気がしてきた。(笑)

運がいい人たちと、できるだけ接点を持っておくようにするのである。そうすれば運の良いアドバイスと運の良い解決法を知っていて、しかもその通りになるからである。「親切で運の強いブレーン」を持っておくのである。そしてできることなら、日頃から接して習っておくべきだ。
なぜ今まで思いつかなかったのか不思議である。(笑)
もっと突き詰めれば、運がいい人とできるだけ会うようにすれば、おそらく運の悪さも緩和するであろう。
風水で、部屋に置くと良いと言われる観葉植物のように回りに配置しておくのである。(結界みたいですが)

そうしてみると、インド占星術で、私のダーシャで、土星/ラーフ/火星の三大凶星が重なったこの時期に、戦争や災害や災難について考えて調べていたのも、結局、自分の火星期の影響のためだったと気づいた。しかしその時期もあと1週間くらいで終わるのでホッとしている。私の土星は強いので、むしろとても良い影響を与えてくれている。しかし、やはり土星は仕事や忍耐の星なので楽はできない。プチ火星期は地震などの災害や外からもたらされる災難について考えてみるには、おそらくふさわしい時期なのだろう。
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