ゴッホとゴーギャン
- 2016/10/14
- 23:30
今日は10月14日。戊戌月己巳日。旧暦九月十四日です。土の気が天干地支ともに大変に強いです。
おかげさまで、翻訳執筆生活から解放されて、人間らしい暮らしになりました。
さて、上野の東京都美術館で開催中の「ゴッホとゴーギャン展」を見に行きました。
同時代のモネやピサロ、ベルナール、ミレーやコローなどの絵画も来ていました。

ゴッホの絵はやはり魅力的ですね!
色彩やタッチが独特なだけでなく、絵から放つ気に見た人は必ず胸を打たれます。
何度でも見たくなる、そんな人を惹きつけてやまない魅力があります。
ゴッホは、色鮮やかで大胆な構図の浮世絵の影響を受けているので、線の描き方や構図に、日本人はどこか親しみを受けるのかもしれません。
ゴーギャンも天才です。ただこうやってゴッホの絵と比べてみると知性的であり、理性的に見えます。

両者の命式を少し分析して見ましょう。
【ヴァン ゴッホ.ビンセント】
1853年3月30日午前11時。オランダ、ズンデルト生まれ
時 日 月 年
癸 丙 乙 癸
巳 申 卯 丑
(大運)
28 18 8
壬 癸 甲
子 丑 寅
× × ⚪︎
●日干丙、身弱。印綬格。喜木火。忌土金水。
●28~37歳壬子の大運。1890年7月29日、ピストル自殺。享年35歳。
【ポール.ゴーギャン】
1848年6月7日午前10時。フランス パリ生まれ
時 日 月 年
己 己 戊 戊
巳 卯 午 申
(大運)
50 40 30 20 10
癸 壬 辛 庚 己
亥 戌 酉 申 未
⚪︎ × ⚪︎ ⚪︎ ×
●日干己、身強。建禄格。喜金水木。忌火土。
5歳年上のゴーギャンとゴッホはパリで出会い、お互いに影響を受けました。
ゴッホは、ゴーギャンに手紙を書き、アルルに熱望して招きます。ひまわりの絵をたくさん描いて、ゴーギャンのために部屋を飾りました。二人は共同生活して制作を開始します。(1888年10月20日、戊子月壬戌月甲子日)
身弱の丙のゴッホが、喜ぶ五行にあたる火気をたくさん持っている命式の強いゴーギャンに惹かれたのは自然なことだったでしょう。
しかし、わずか2ヶ月後のクリスマスの日に、絵の描き方から口論となり、二人は破局を迎えます。
ゴーギャンは去りました。その直後にゴッホはカミソリで自分の左耳を切り落として入院。(1888年12月25日、戊子年甲子月庚午日)
この時は、子年子月ですから、ゴッホにとっては水気は官殺にあたり、とてもストレスの高い目上から攻撃されやすい時期でした。おそらく、生まれつき自我が強く、しかも5歳年上のゴーギャンからの叱責で、自尊心を粉々にされて気を病んだのでしょう。
逆にゴーギャンは、水の気を大変に喜びますから、お金と愛を求めてパリに帰ります。
1889年10月14日に、ゴッホは精神病を患います(己丑年甲戌月癸亥日)。
1990年1月、刑務所病院へ入ります(己丑年丁丑月丙午日)。
狂気の発作が彼を度々襲うようになります。
療養所の生活でも医師の勧めで、療養所の内外の風景を描いていました。
1890年7月29日午前1時30分、ピストル自殺しました。享年35歳。(己丑年癸未月辛亥日己丑刻)
土気がとても強い時で、食傷は本音という狂気の発露となってしまったのでしょう。
「印綬格」のゴッホは信仰心が強く、もともとは牧師を志したわけです。
1880年(庚辰年)27歳でオランダからパリに出てきます。偏財の年にあたり華やかさに憧れたはずです。
しかし壬子の大運が開始し、孤独と逆境が苦悩をさらに色濃くしていったのかもしれません。
比肩・劫財を喜びますから、弟のテオが終生の理解者であり援助者となりました。

一方ゴーギャンは、タヒチに移り住み、パリに一度戻りましたが2年後再び島へ行き、風景を描きながら自由気ままに暮らしました。1903年5月8日に亡くなります。享年55歳。(癸卯年丁巳月丙申日)
本来ならば、もっと長生きする命運にありますが、医療の発達していない生活環境で寿命を短くしたと思われます。

自我が強くて行運に恵まれたゴーギャンと、自我が弱くて内向的な性格、行運の弱いゴッホは、パリの同時期を共にしましたが、あまりに対比的な人生だったようです。
おかげさまで、翻訳執筆生活から解放されて、人間らしい暮らしになりました。
さて、上野の東京都美術館で開催中の「ゴッホとゴーギャン展」を見に行きました。
同時代のモネやピサロ、ベルナール、ミレーやコローなどの絵画も来ていました。

ゴッホの絵はやはり魅力的ですね!
色彩やタッチが独特なだけでなく、絵から放つ気に見た人は必ず胸を打たれます。
何度でも見たくなる、そんな人を惹きつけてやまない魅力があります。
ゴッホは、色鮮やかで大胆な構図の浮世絵の影響を受けているので、線の描き方や構図に、日本人はどこか親しみを受けるのかもしれません。
ゴーギャンも天才です。ただこうやってゴッホの絵と比べてみると知性的であり、理性的に見えます。

両者の命式を少し分析して見ましょう。
【ヴァン ゴッホ.ビンセント】
1853年3月30日午前11時。オランダ、ズンデルト生まれ
時 日 月 年
癸 丙 乙 癸
巳 申 卯 丑
(大運)
28 18 8
壬 癸 甲
子 丑 寅
× × ⚪︎
●日干丙、身弱。印綬格。喜木火。忌土金水。
●28~37歳壬子の大運。1890年7月29日、ピストル自殺。享年35歳。
【ポール.ゴーギャン】
1848年6月7日午前10時。フランス パリ生まれ
時 日 月 年
己 己 戊 戊
巳 卯 午 申
(大運)
50 40 30 20 10
癸 壬 辛 庚 己
亥 戌 酉 申 未
⚪︎ × ⚪︎ ⚪︎ ×
●日干己、身強。建禄格。喜金水木。忌火土。
5歳年上のゴーギャンとゴッホはパリで出会い、お互いに影響を受けました。
ゴッホは、ゴーギャンに手紙を書き、アルルに熱望して招きます。ひまわりの絵をたくさん描いて、ゴーギャンのために部屋を飾りました。二人は共同生活して制作を開始します。(1888年10月20日、戊子月壬戌月甲子日)
身弱の丙のゴッホが、喜ぶ五行にあたる火気をたくさん持っている命式の強いゴーギャンに惹かれたのは自然なことだったでしょう。
しかし、わずか2ヶ月後のクリスマスの日に、絵の描き方から口論となり、二人は破局を迎えます。
ゴーギャンは去りました。その直後にゴッホはカミソリで自分の左耳を切り落として入院。(1888年12月25日、戊子年甲子月庚午日)
この時は、子年子月ですから、ゴッホにとっては水気は官殺にあたり、とてもストレスの高い目上から攻撃されやすい時期でした。おそらく、生まれつき自我が強く、しかも5歳年上のゴーギャンからの叱責で、自尊心を粉々にされて気を病んだのでしょう。
逆にゴーギャンは、水の気を大変に喜びますから、お金と愛を求めてパリに帰ります。
1889年10月14日に、ゴッホは精神病を患います(己丑年甲戌月癸亥日)。
1990年1月、刑務所病院へ入ります(己丑年丁丑月丙午日)。
狂気の発作が彼を度々襲うようになります。
療養所の生活でも医師の勧めで、療養所の内外の風景を描いていました。
1890年7月29日午前1時30分、ピストル自殺しました。享年35歳。(己丑年癸未月辛亥日己丑刻)
土気がとても強い時で、食傷は本音という狂気の発露となってしまったのでしょう。
「印綬格」のゴッホは信仰心が強く、もともとは牧師を志したわけです。
1880年(庚辰年)27歳でオランダからパリに出てきます。偏財の年にあたり華やかさに憧れたはずです。
しかし壬子の大運が開始し、孤独と逆境が苦悩をさらに色濃くしていったのかもしれません。
比肩・劫財を喜びますから、弟のテオが終生の理解者であり援助者となりました。

一方ゴーギャンは、タヒチに移り住み、パリに一度戻りましたが2年後再び島へ行き、風景を描きながら自由気ままに暮らしました。1903年5月8日に亡くなります。享年55歳。(癸卯年丁巳月丙申日)
本来ならば、もっと長生きする命運にありますが、医療の発達していない生活環境で寿命を短くしたと思われます。

自我が強くて行運に恵まれたゴーギャンと、自我が弱くて内向的な性格、行運の弱いゴッホは、パリの同時期を共にしましたが、あまりに対比的な人生だったようです。
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